今月の歌から今になっても歌い続けられる(この先も)曲を作ってきた。(坂本九の上を向いて歩こうを今月の歌としてメディアで紹介した番組、この曲は何処の国に行ってもタクシーから街中で流れてたとか日本人だから意識して流しているということは無く聞こえてこないことは無いです。
でも今のヒット曲は話にもでません。)してきた
バラエティ番組の教科書NHK夢であいましょうのあと番組で夢であいましょうの最終回で
黒柳さんとフランキー堺さんが引き継ぎをするシーンが残っているようです。
さて映像は現存する話が出ないので分かりませんが台本から
作はコントの神様:塚田茂先生、音楽が宮川先生、東海林修先生で
この回はフランキー堺(もともとドラマーでとんでもないくらいカッコ良いです。民放ラジオ開局ブーム時にかなりの番組が放送されたそうですがその音源とか世に出せないものですかね。
追悼で出たものは添え物みたいのの寄せ集めで残念でした。そうそう藤田まことも添え物追悼盤であれも残念でした。)をメインに益田キートン、倍賞美津子、ダークダックス
西田佐和子、園まり、中野ブラザーズ(少し前健康食品みたいなCMにでていました)
沢田俊吾、宮間利之とニューハードオーケストラ(カッコいい演奏はすべてこれ一度持っているレコードの演奏を意識してみてみましょう。)
お笑いの人がフランキー堺一人で台本を見る限りギャグマン永六輔みたいな空気はないので
完全大人向けのバラエティー番組だったのではないかと思います。
そういえばこの時期民放でコメディフランキーズとかフランキー堺の番組が何故か増えてきた
ような時期でした。
ついでですがここでよく出てくるAMPEXのVR-1000を1953年7月30日にアメリカに旅行に
行ったときにスタジオでこの機械を日本人タレントとして始めて見せてもらったという話があります。
その後10月には現存するサンヨー電気提供の私は貝になりたいが放送されました。
ちなみにフランキー堺はその後CV-2000のテレビ付き(型番忘れました)を購入して
アメリカでのバラエティ番組を日本に送ってもらって勉強していたという話を聞いたことがあります。