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2020年12月12日土曜日

小松政夫様がお亡くなりになりました。


作:河野洋、音楽:斉藤太郎、クレージーの犬塚弘、そして小松政夫そりゃあみておかないと、というわけでうちの若者連れて見に行きました。
めんどくさい私も当時を知らない若者も満足して帰ってその後何年かして東京で再演したのを終わった後に聞いて悔みましたが・・
 あと伊東四郎と小松政夫のコンビのコントが70年代後半に沢山の番組がありましたので
どれがどれだか記憶が定かではないのですが、ナベプロ番組のみごろたべごろの電線音頭、あと11PM、今夜は最高のタモリとの宴会芸これも絶品でした。
ご冥福をお祈りします。
今年は年号が変わったくらい変化がありました。

天国のシャボン玉ホリデーいろいろ考え深いものがあります。

2020年4月3日金曜日

2018年12月31日月曜日

1964年東芝のステレオの革命ってなんでしたっけ?

昔東芝レコードの名古屋営業所がうちの会社の隣だったそうです。それだけで威張れます。(笑)


いろいろ資料を探しましたが残念ながら詳細わかりませんでしたが
名古屋の映画宣伝の神様がおっしゃったの
で間違いないです。
1955年以前はレコード会社はハードも作っているビクター(日産コンツェルンだったり東芝が支援してた時期もあり)コロムビア(日立と・・・新聞見なくともてんとう虫プレーヤーが日立から出たり、コロムビアの電源コードが日立のだったりとか・・)
東芝もその仲間(電蓄等はレコード事業と並行して・・)なのですが、レコードのあたり具合?に対して再生機器等気がないのがひしひしと・・(最初のメンテした機器はアンサンブルステレオでガラードのチェンジャーが付いていてどうでもよさげな感じでした。)
ボストンシリーズとか3点ステレオとか出力がステレオ逆位相で出てくるカートリッジ
とかいろいろあったのですが引っかかりませんでした。
 さてレコードに話を戻すと東芝は渡辺プロダクションの原盤権のビジネスの最初の
 植木等(ハナ肇とクレージーキャッツ)スーダラ節(JP-1300 1961年8月20日店頭出荷名古屋のパチンコ屋でかかって売れ出した説があるが真意はともかく好意的にみとこう)で結果が出たのでその後の邦盤の新しいビジネスがひろがったり、レコードが
赤かったり、九重 佑三子のネイビーブルーがダブリングやっていたりドラムのマイクの位置がそれまでと違ったり、シングルが昭和39年TP-1000番台でやっとステレオになったり
コンパクト盤がモノラルの曲がステレオ化されていたり(ビートルズもステレオ化、帰ってきたヨッパライはモノ)
坂本九の東京五輪音頭、ドリフの真っ赤な封筒がシングル盤とテイクが違ったりアレンジが違ったり、五万節が差し替えられたり、あと洋楽でのベンチャーズのライブ盤その時分のスプートニクス、アストロノウツ等エレキバンドの録音はオンマイクではないのですが東芝の2枚目のライブまで飛びぬけて出来が良い。(その後はステレオ感を出そうとしたのかマイクの位置が良くなくちょっと残念)あとシャドゥズもありのルイアームストロングの良さげな時期のレコードあったり、
隣で全盛時代の東芝レコードが埋まっているのではと考えただけでも楽しいものです。
そんなはずねえよ
あと作詞河野洋(放送作家)作曲:斎藤太郎(NTVディレクター)編曲:前田憲男(音楽家先日お亡くなりになりました。)NTVの九ちゃんからの企画でしょうか?

スタジオライブの様相な録音で失敗した演も録音に入っています。(演出上台本にあった?NTVのできるディレクターが噛んでいるので、そりゃあ計算上でしょう。)
最後だけフルバンドが入って盛り上がって終わるっていうショー的な方法はお手本に
しようと思っていますが私なんか貧乏性なのでガンガン鳴らしてしまうのは良くないです。
そうこれはタイトル変更されて2種類のジャケが存在します。
 ”九ちゃん”スポンサーからは万博まで視聴率が悪くても続けてくれという株主に頭が上がらない
(もしかすると株主もそんなに・・じゃなかったかも)今では考えられない状況で
したが、一二の九にタイトルが変わり公開バラエティからスタジオ製作に変わってひと月くらいで良くわからない理由?(マナセプロダクションと日本テレビのボタンとのアレで)で番組は半年で終了。残念ですが日本のミュージカルショーのお手本となる番組は無くなってしまいます。(最終回はラフ・インをお手本とした。(まだ作者も誰も見ていないはずですが・・記録に残っているので)半年後放映されるゲバゲバ90分の元的な回という記録が残ってます。

東芝レコードの歴史

1953年12月 東京芝浦電気(株)、英国EMIと原盤契約。
1954年 4月 グラモフォン建設部設置。工場準備にかかる
1955年 8月 レコード事業部新設
1955年 9月 エンジェルレコードの SP,EP、LP盤発売
1957年 8月 自主録音制作による邦盤レコード発売
1958年 4月 山下敬次郎”ダイアナ”某オクで談志師匠の遺品でANGEL盤が
       拝めました。 キング平尾昌章盤より1月先に発売30万枚販売
     6月 東芝・渡辺プロダクション提携の披露パーティー開催
       (これはその後効いてきます)
    12月 帯電防止レコードエバークリーン盤発売。(RED MAXじゃありませんよ)
        東芝レコード名義のレコード発売
1959年 3月 ステレオレコード発売
1960年 10月 朝日ソノプレス社との間でシートレコード制作提携
1960年    東京芝浦電気より営業謙譲で東芝音楽工業(株)設立。
     12月 営業開始
1961年  4月 東芝音工より東芝フォノブック発売
     7月 東芝音工に米キャピトルレコード社資本参加
     8月20日 渡辺プロダクションが原盤権をもつスーダラ節発売
1966年 11月 東芝音工、永田町にスタジオ完成
1969年  4月 東芝レコード(株)設立
1973年  10月 社名を東芝EMIと改称
ここまででしょうか。
AMAZONビデオで1回から50回までのサザエさんが見れます。がオープニングの東芝はカットされていました。が、茶の間のテレビがうちにあったのと同型の東芝のカラーテレビでした。その後1975年くらいにマイナーチェンジしたのに代わってテレビのステレオ放送が始まるくらいにステレオ放送対応テレビに変わってけっこう長かったような・・
今見ても面白いので正月はこれで過ごします。




2018年11月27日火曜日

九ちゃん、ゲバゲバ90分、シャボン玉ホリデー等日本テレビバラエティ他の
音楽を担当された前田憲男氏がお亡くなりになりました。
最近まで精力的にコンサートをなされていたようで残念です。
題名のない音楽会で黛氏が”この三人が乗った飛行機が落ちたら日本の音楽は
とんでもない状況(省略)・・・になる”と紹介していた2人が亡くなってしまったのは
さびしいことです

2018年7月26日木曜日

キネコ再生用16mm映写機

https://oysrecords.blogspot.jp/2015/04/elmo-sp-cdsv-11.html
多量のキネコが持ち込まれて内容の確認をと思っていた矢先に光学トラック用のエキサイターランプが切れた。調べるとスペアが安易に手に入りそうもない状況のようだ
某オクで状況のわからないランプを購入するのもなにか気が引ける。

 あと前からやらなければいけないと思っていたのだが、光学トラックのハムが気になるので平滑コンデンサーを増やす手もあるのだが電源投入時にトランス等他に負荷がかかるのはイヤなので小型のスイッチングモジュールで平滑化・・と考えていたが映写機益咲いたーランプ電源はブリッジダイオードと3300μF×2と巻線抵抗で直流を作っているもので4Vが出てくる仕様らしいのだが4Vから4Vは厳しい。

適当な平滑に使えそうなスイッチングモジュールが見つからずに挫折。

とりあえずフィルムのチェックから。TV局の噛んでる?フィルムは(リバーサルフィルムあるいはGPL録画機等(電気的に反転させれば価格の安い普通のフィルムが使えた・・という話を聞いた記憶がありますが・・後で確認します。)ネガの状況で見たことが無く
このフィルムは35mmカメラのように白と黒が反転していた。
 まあとりあえず今思いつくことはPCでも反転処理ができるし、アナログで回路組んでも
そんなに手間はかからない。
簡易的なテレシネで絵だけ取り込んだが解像度が低すぎて反転してみても詳細が
良くわからない。奥にうずもれているテレシネ機を作業所をふさいでいるフィルムを
退けて作業するしかないです。

ウェスタンカーニバルの映像ばりのライブステージから

引きづり降ろされようなシーンがあったりするが時代的にはボーカルなさそうなので
The Ventures,エレキバンド時代のステージだろうか?尺が長いので数本確認して終了。



そういえば大容量コンデンサーが製品化される以前の
エキサイターランプは直流点火ではなく真空管で可聴帯域外の周波数を発信させてそれで
ドライブしていたようだ。これならハムは出ない。まあスイッチング電源も同じような
原理のようだ。最近の案件でRCA製の日本で放送が始まる以前のテレビの回路をずっと眺めているが、真空管が22球あったものが、実用になるか分からないが13球で複合管、セレン、ダイオード等の製品化と回路の工夫で部品点数が減っていく様がみられます。
(技術誌で10球でテレビを・・みたいな企画があったりしました。こういう思いつかない企画は(コンデンサーマイクをアルミの棒を削るところから始める等)毎号楽しみでした。)

2016年7月11日月曜日

永六輔氏 83歳 お亡くなりになりました。


職種でギャグマンというのが気になり、書籍、テレビラジオ、レコード等メディアの神様の
私は元祖(お笑いの神様)として崇めていました。(笑いの質が違うと思いますが
常識があってそこからどこまで離れることができて、あと戻ってこれるかみたいな(私の文書がヤバいのであれですが・・)良識のある人が台本書くから面白いし、感動したり・・そうそう九ちゃん(NTVの井原番組)で坂本九のいい話のエンディング)(”九ちゃん”一本丸ごと見れる機会があればよいですけど・・)とか舞台での話もそうだし、あとビデオになっているNHKの夢であいましょう(偶然か7/12徹子の部屋坂本スミ子氏)もそうだし
品というものですかね。私も舞台台本書くときはかなり意識していましたが・・難しかったです。いろいろと。

フランキーの宇宙人より
映画の冒頭でカメラ持った新聞記者が永六輔氏でした。

三木鶏朗の”僕は特急の機関士で”の録音で大根コント?(歌も)がCDになっています。
そうだよ。金山の地上社のビルの奥に入っていたサウンドベイで壁にかかっていた
三木鶏朗の全集をかったんだよ。あの店は全部にコメントカードが書いてあり(当時は情報がない中の貴重な情報でした。)中古屋ながら必要(重要)なもの?は新譜が入荷していてレコードを見るだけでもあらゆるジャンル勉強になりました。(片寄なく?いろんなジャンルに精通している店員さんとか絶滅危惧種ですかねえ・・そういう人こそ保護しなければいけないのではと・・(笑)
でもほんとに。)社会福祉的にへんなところにお金をばらまいたりとか変な馴れ合いは嫌です。
そういう間にせんきょで???があったり。

何時かはくるとは思っていました。
ヤッパンマルス間に合いませんでした。

テレビ創世記のタレント、製作者のほとんど、
もしあったなら(本当はありませんが。)あちらの世界に行ってしまいました。
ご冥福をお祈りいたします。

ザ・ピーナッツの伊藤ユミさん死去 75歳

幕の裏からの映像でビデオが終わります。

後に放送作家の塚田茂氏が製本されて配布された台本です。

2016年4月12日火曜日

シャボン玉ホリデー ハロードーリーの回

シャボン玉ホリデーのタイトルは忘れましたがビデオになっていないピーナッツがハロードーリーを歌う回を見る機会がありました。

2015年4月23日木曜日

昨日ドラマ”シャボン玉のころ・・”の青島幸男役の萩原流行氏がお亡くなりになりました。


2015年4月20日月曜日

猫も杓子もミュージカル時代もありましたが・・・

不良が嫌いなので避けていたのだが”ウェストサイドストーリー”のサントラを聞いている。
(ひょうきん族でこれのパロディーで牛の吉田くんが出てきて”モーで”たけしがハナ肇さん見ていますか?というのが印象で他は記憶にない)
その後ミュージカルブーム?みたいのがきて(こさせた?)映画もテレビも実演もウェストサイドストーリー状態だったらしい。あんまりよい曲は無い。(ディズニーXDでやっていた。(今やっているようです。)”The Suite Life of Zack & Cody”で歯にお肉が挟まった・・というようなウェストサイド・・からの曲のパロディー
はここからか・・・ということもあったっり(お笑いはモノを知らないと楽しめない典型的な例で・・)まだ勉強が足りません。)(日本語版は声優の出来が(台本も元の主題の俳優より脇が非常によろしい。)良く機会があれば見たほうが人生有効に送れます。)青山 穣氏は最高です。



今甦るザ・ピーナッツ伝説
~愛と絆が生んだ永遠のハーモニー~
http://www.bs-tbs.co.jp/music_stage/thepeanuts3/

4/17にあったらしいが気が付かなかった。TBSは同一素材でやりすぎくらい、NHKはまあまあ、日本テレビ物は何故か出てこない。

・レコードは1300回です。

2014年12月28日日曜日

1万人の第九とか山本直純氏の企画ですよね?

山本直純のオーケストラがやってきた!がDVDになっていたのを最近見つけた。
本当に80年代よりそういう情報が全くつかめなくて困ります。
著名なオケが来日しても最近は全くわかりません。後で気が付いてから”えーーー!”
ということが多々で・・まあそれはおいといて。
尊敬すべきものを今見れることは非常に生きていて良かった。いろいろ勉強になります。
+今夜は最高・・山本直純の回、ゲスト?泰葉氏で不良の音楽が嫌いな私はその辺りは
ノーマークでしたがさすが爆笑王のご子息!血を引いたうちで一番できるのでは・・
斉藤太郎の思いっきりテレビに出ていたと思いますが(いいとものウラは大変でしたでしょうが
あとは歴史です。)山本コータロー氏とともに気が付いたら居なくなってあとは一部コーナー担当のみのもんた氏がやってました。(11PMで小島正雄氏(楽器であそぼうピーナッツ現存するキネコタイトルバックのみカラービデオ(ビデオになっています。))がやっていたのですが急に亡くなられて大橋巨泉氏も一部のコーナーからという記憶があります。)
今夜は最高のこの回もバカと教養の中間みたいな非常に良い回でした。
さてオーケストラがやってきたですが、音楽の楽しさを求めるなら是非とも手元に・・・




2014年12月24日水曜日

今もやっているかどうかわからないが1975年のゆく年くる年が見たくなってやっと探し出した。
この年は蒸気機関車がなくなるということで?(ほんとかよ)機関車を並べての生放送で
汽笛とオケで蛍の光を演奏するという今の連中じゃ思いつかないような凄い企画。
ちなみに指揮は山本直純氏
当然こういうのは日本テレビ製作で前のテレビのツリーと同じように違う感覚をくすぐるところ
が非常ににくい。
72年くらいからUマチックで紅白を録っていたという話を良く聞くが、全部録ろうとすると
歌を切らないように歌と歌の間にテープを交換するので1時間のテープが3本必要となる。
貨幣の価値は置いておいてもSONYのCVもUマチックも1時間定価が1万円。
まだ一般に普及する前夜です。次の年の紅白からベータが使える時代でした。






2014年9月15日月曜日


第一回の九ちゃんの台本です。手元に井原番組はこれ1冊のみで厚さは30分番組で今の紅白と
変わらないくらい(ちょっとオーバーかもでもそんなに変わらんぞ!)どころか
この時代で(ぼちぼちダビング編集できるかな?時代でタイムコードも何もなかった時代で)
秒単位でシーケンスが決まっていたようです。そんな台本はいまだに見たことないです。
今のタレント任せの作り方とは違う作り方だというのが台本からひしひしと伝わってきます。

この内容の一部は小林信彦(中原弓彦)氏の本で細かいいきさつなどが解説されているので
よしなに・・(使い方どうかねえ?)

放送は昭和40年11月未定(台本ではで11月4日らしい)
録画       10月20日木曜日
場所:江戸川公会堂
振付音入れランスルーでまる3日で後の今夜は最高の倍の期間で(2本どりなので)
出演者

坂本九

特別友情出演

トニー谷
林家三平
小野栄一
牧伸二


てんぷくトリオ

スペシャルゲストスター

伴淳三郎

--------------------
アマチュアエレキバンド 第一位

ザ・ストレンジャーズ
--------------------
スタジオNo1ダンサーズ

浦辺日佐夫
城政幸
西条満
渡辺良一
菊池敏一

畑本健

中北万里子
名倉加代子
新井重子
若竹麻美
岩崎周代

合唱

スタジオNo2シンガース
ザメドポール

演奏

小俣尚也とドライビングメン

--------------------
スタッフ

脚本

永六輔
井原高忠
三波伸介
中原弓彦
難波一
田波靖男
山崎忠昭

音楽監督

前田憲男
小俣尚也

振付

浦辺日佐夫

美術

川村弘明

照明

赤司彰三

技術

第二製作所

効果

門司

特殊効果

宮川保

新井博

進行

戸村 征

衣装

森下 茂子

美容

NTVメーキャップ

|||||||||||||||||||||||||||||||||
]
演出

横田岳夫

制作補

仁科俊介

制作、演出

井原高忠




井原高忠さんが死去

学生ウェスタンバンド(といっても売れに売れていて新東宝の映画にもでていました。)
”チャックワゴンボーイズ”のベースマンから卒業後日本テレビに入り”音楽班”で
ざっと調べて記録にあるだけで
昭和31年10月14日サンデーミュージック
昭和32年5月4日”ペトリヒットアルバム、5月5日”ナンバーワンショー”
(昭和32年10月24日”ペトリミュージックパラダイス”秋元氏の名前が・・)
そのなかで昭和31年5月10日”僕と私のファッション”司会:井原高忠の名前が
作家が出るのはよくありますがディレクターが・・と思いましたがその後にカリキュラマシーンで
齋藤太郎氏の件もありますので適材適所ですかね。

(表面上ゲバゲバの白黒VTR(CV)は局で見つけられたということになっていますが本人が保有していたものっぽいです。小林信彦の書籍でもVTR保有を確認しています。前に乗っけたゲバゲバのVTRを三木とりろうとみている写真を載せましたがその時のCV2000も本人の可能性が・・)
24時間テレビ以後テレビを(表面上)引退してしまったのですがテレビバラエティの神様が本当に
居なくなったというのは辛いところです。

この2枚のLPはバンド仲間ということでジャケの絵を描かれています。

そうだよ渡辺プロダクションのピーナッツの名づけ親でもあったんだよなあ。
いろいろあるんですがあまりにも急で何かいたら良いのか・・・
それにしてもポータルサイトから一瞬でトップから消えたり
すんのはどうかと・・これが現状ですかね・・・

残念ながら後の匂いしか嗅げなかった世代のため想像しかないのですが・・
こうあるべきというのが最近のすべての作品に無いようなのが気にかかります。
ゲバゲバ90分の第一期の最終回でディレクターが𠮟っているスケッチ(DVDに収録されています。)がありますが今ではそういうことのできる人を見ません。
全く。

九ちゃん、イチニのキュウ、スタジオNO1ダンサーズ(初のテレビ局お抱えのダンスチーム)
沈没期(九ちゃんが始まる前)他局のバラエティを手伝っていた説も・・



シングルが見つからなかったのでコンパクト盤で
”結構だね音頭”作曲編曲が宮本武蔵となっておりますがこれは氏のものでは・・・
大当たりしてレコードがなくなるまでカタログから消えなかったジェンカのB面は作曲:斉藤太郎
となると・ふぁんたじーの世界の話ですけどね
ちなみに渡辺プロの社長も池すすむ名義で詩を書かれています。

2014年8月22日金曜日

ヤンマー一社提供のバラエティ飛べ!孫悟空
3本しかビデオを持っていなかったので有難い。
音楽バラエティショー(安居酒屋でもおっさんのぐち大会ではない。)
特に洋楽などカバーを使ったものは著作権料が異常に高く家でもあるバンドの記念カバー集を
企画したところ著作権料金だけでとんでもない金額になってしまい挫折しました。
作家の田村隆氏(これがNHKのハッチポッチステーションにつながっているのかな?)の本にもビデオ化は無理だろうということになっていましたが

法律が変わってネット放送の枠になったのでOKなのでしょうか?
さて利害関係バリバリの番組しかない状況で番組の視聴者層は子供でヤンマー
まったく接点が無いように見えます。坂本九のイチ・ニのキュー!は味の素一社提供で
スポンサーは視聴率に関係なく万博までやってくれという話が残っていますが・・
(前の九ちゃんはおそ松くんと同じ時間に移動させられたくらいですから・・・
視聴率は言うまでもないです。)


http://tod.tbs.co.jp/item/3491/

画質とか音は自身を持って文句言わない派なのですが・・ネット配信もう少しなんとかならないものでしょうか?さすがに音がピーピー言っているのは・・

あと思い出しましたがビートルズの日本語の替え歌はダメじゃなかったっけ?
たしかそういうのがあったような・・・

2014年7月28日月曜日

PIONEER Electronics 50 Year History

 http://youtu.be/cLgIV1wRfHc

ナビゲーションシステムを発売する以前までのパイオニアのビデオです。
有志の方が作られたのか良く分からないのですが(シャボン玉ホリデーのローバンドVTR時代のカラーパートで現存しているものが挿入されているがザ・ピーナッツが広告に出ていたためだろうか?・・番組には直接関係していないはずだが・・となると?)
AMステレオ放送(2波つかうのね)の聞く為の準備方法とか聞けたり、ラジカセ”ランナウェイ”のCMがあったりでこういうのは嬉しいです。残念ながらステレホンとかアンサホンあとONKYOと共に
即撤退した白黒テレビ(音が良いというのが売りだったが・・・ちなみにカラーテレビはLDのときに当たったと思いました。)その他聞いたことも無いものが無かったのが少し残念ですが・・

なお尺が50分と長いので要注意

2014年7月26日土曜日

11PMのビートルズ特集で由利徹のことを書いたが斉藤晴彦と共にレギュラーの時期があったようだがその流れ?だったのだろうか?11PMは井原番組の匂いが消えつつあったのでチェックしていなかったので全く気がつかなかった。
ビデオを数本貸していただいてチェックしたのだが斉藤晴彦のコーナーもあるにはあるのだが今夜は最高で当てた?もののパクリ程度のことしかしていなかったようで残念でした。
レコードが良くないのと同じ理由だと思います。

2014年3月29日土曜日

来週からこの時間は・・なら今の時間は何でしょうか?


武道館のビートルズ中継番組の後に入ってました。
このテープは当時放送されたものに間違いないと思います。

2014年3月18日火曜日

家で若者と昔のバンドのライブを見ていたが
カッコいいのはHDじゃなくても5.1chじゃなくても白黒でもかっこいい。
一昔前に黒柳徹子氏が高品位テレビ(今のHD)が始まるが高品位なので品の無い人は
出れません)といっていたが、テレビの画質に反して内容は白黒以下2階調の走査線1本くらいに
低下・・・・おもしろくないなあ。





覚書

日本テレビ
1966年7月1日金 21:00~ ビートルズ日本公演
1966年7月8日金 21:00~ 赤ちゃん誕生(ドラマ)

こんなときにタイムリーなドラマやっていたんだ(内容は違うと思うけど・・)


2014年2月12日水曜日

HawaiiのKona TV局

      1963年 3月5日ハワイのKONAテレビ(現ケーブルテレビ局っぽいです。)
      とネットワーク協定「シャボン玉ホリデー、
      ビクター歌のパレード」毎週提供・・・てことはキネコで送っていたと思われますが
      バラエティ(ひな壇くそ番組ではなくて)番組の歯抜けになっている回の録画が発見された      ということでニュースになる国なので残っている可能性はあると思います。