”チャックワゴンボーイズ”のベースマンから卒業後日本テレビに入り”音楽班”で
ざっと調べて記録にあるだけで
昭和31年10月14日サンデーミュージック
昭和32年5月4日”ペトリヒットアルバム、5月5日”ナンバーワンショー”
(昭和32年10月24日”ペトリミュージックパラダイス”秋元氏の名前が・・)
そのなかで昭和31年5月10日”僕と私のファッション”司会:井原高忠の名前が
作家が出るのはよくありますがディレクターが・・と思いましたがその後にカリキュラマシーンで
齋藤太郎氏の件もありますので適材適所ですかね。
(表面上ゲバゲバの白黒VTR(CV)は局で見つけられたということになっていますが本人が保有していたものっぽいです。小林信彦の書籍でもVTR保有を確認しています。前に乗っけたゲバゲバのVTRを三木とりろうとみている写真を載せましたがその時のCV2000も本人の可能性が・・)
24時間テレビ以後テレビを(表面上)引退してしまったのですがテレビバラエティの神様が本当に
居なくなったというのは辛いところです。
この2枚のLPはバンド仲間ということでジャケの絵を描かれています。
そうだよ渡辺プロダクションのピーナッツの名づけ親でもあったんだよなあ。
いろいろあるんですがあまりにも急で何かいたら良いのか・・・
それにしてもポータルサイトから一瞬でトップから消えたり
すんのはどうかと・・これが現状ですかね・・・
残念ながら後の匂いしか嗅げなかった世代のため想像しかないのですが・・
こうあるべきというのが最近のすべての作品に無いようなのが気にかかります。
ゲバゲバ90分の第一期の最終回でディレクターが𠮟っているスケッチ(DVDに収録されています。)がありますが今ではそういうことのできる人を見ません。
全く。
九ちゃん、イチニのキュウ、スタジオNO1ダンサーズ(初のテレビ局お抱えのダンスチーム)
沈没期(九ちゃんが始まる前)他局のバラエティを手伝っていた説も・・
シングルが見つからなかったのでコンパクト盤で
”結構だね音頭”作曲編曲が宮本武蔵となっておりますがこれは氏のものでは・・・
大当たりしてレコードがなくなるまでカタログから消えなかったジェンカのB面は作曲:斉藤太郎
となると・ふぁんたじーの世界の話ですけどね
ちなみに渡辺プロの社長も池すすむ名義で詩を書かれています。