2014年3月1日土曜日
嵐を呼ぶ男は石原裕次郎版、名前忘れた石原プロのひと、テレビファソラシドきんぱち先生に出てた人版があるが、ぼちぼちネタがないんでやるんじゃねえの?
相変わらず名前が出てこないが、今出ました。渡哲也と近藤正彦です。この2人のは見たことはないのだがまあ機会があれば見たいところですが、さて石原版は映画最絶頂期そして今後何本も作られるこれから大帝国ができていく過程のナベプロをお手本にした映画ですが社長のDNAが入っているような匂いが(エンターテイメントで必要なこととか・・バンドマンの皆さん避けていた残るための提案みたいな・・)あるんで・・いやある気がするんで是非とも見ておいたほうが良いのではないかと(ドラム合戦のバンドでベース弾いているのが社長本人です。嫁は言わずとした役で・・あとクレジットには出ていませんがトラ箱?でフランキー堺もでてます。)思います。
この映画を公開がナベプロが1955年1月発足で映画公開が1957年12月公開なので短期間でこういう映画が作られたのは当然世の中の関心が無いと成立しないのでそれにしてもねえ・・・
さて本質に戻しましょう。裕次郎が始めにドラム叩くシーンでレビュー(バーレスクショー)が挿入されていますがこれはジャズ喫茶(ライブハウス)ではなくてバンドの仕事としてキャバレーの営業だと思いますが、生のバンドだと何か楽しいのですがテープだとどうでしょうか?ビデオ及び性風俗の緩和化?もあり残念ながら作りもの?より素の状況がありがたがられる状況で・・
・(適当に録って編集・・あ!最近のテレビも)
バーレスクショーとかも当然日本に入ってきてオリジナルの発展を始めるのですが残念ながら
”えろ?”の部分だけ発展?退化?
してエンターテイメントなんて消えてしまったというのは残念です。
これはこういうものだ!という姿勢がないとお客さんの望むように・・それでは破滅に向かうだけです。政治も国民の視点なんかで動かしたらとんでもねえことに・・ならなければいいのですが。
1958年TBS製作のマンモスタワー(ビデオ現存)で映画が落ち始めているような感じに
なっていますが、まだこのころ企画、製作スピードの速さあとセンスについては映画のほうが
まだいけています。映画もテレビもラジオも新聞雑誌もそのメディアの特性を生かして
変に群れるクセを辞めれば存在の価値が出てくると思いますが。(テレビも個人のネットも同じ子とやっているようではねえ・・)そうそうアメリカの3大テレビネットワークはでかいとこしかできないことはでかいところがやって小さいネットワークはそのできることで・・・とやっているそうですが
日本はどうでしょうか?東京のキー局が独立のU局よりショボイことやっていないでしょうか?
あ!ネットもね。