フィリップスの子会社MAGNAVOXから発売されたVLP(後のLD)が失敗後
パイオニアとアメリカのMCAとの合弁会社で参入、その後IBMも参入したが・・(盤の製造がうまくいかないMCAが支援を求めただけらしい。)その後パイオニア以外が離脱して
名実共にパイオニアが元祖のLDメーカーに、初代機のLD-1000(機能、映像、音声(アナログ音声のみ)今でも長時間ディスクで秒単位のタイムサーチが出来ない以外劣るところは何も無い)
は動作状態で実家に・・その後LD-7000フロントローディング機(半導体レーザー機)、CLD-9000(音声デジタルでCD・LDコンパチブル機)とか有ったが手元のDVD、LDコンパチ機DVL-9が出るまで買い替えなしできました。
β対VHSのようなVHD対LD規格戦争?見たいのがありましたが(9:1くらいでSONY以外はVHDへ)
ちなみにVHDは針で再生でレコードの生産システムがそのまま使えるというメリットがあるシステム
でしたが、ぼちぼちレコードが消えCDに変わるのかな?という時代しかもスペックで解像度が240本程度でLDは400本(解像度だけで評価するのも乱暴だし、からくりはあるが・・)あと光っているものにはかなわないということでVHDは消えていった。その後YAMAHAとかSANYO、NATIONALも
LDプレーヤーを出したがDVDがでてくると当然LDの座はDVDに明け渡し。
その後パイオニアはDVR-1000なるDVDレコーダーを真っ先に商品化でもその機械で録画したものが他機でみれないという問題も・・その後DVR-2000で解決そたので私も使っていたがデジタルのめんどくささ、楽を痛いほど知ることに・・・
私のパイオニア歴としては3点セパレートの電磁カートリッジ付きステレオ、廉価簡易プレーヤー
ナベプロ合弁のパイオニアレコード(タイムボカン)、
ビデオ関係は飛んで初代DVDナビ(案内が毒蝮三太夫の声と次元、不二子の声とかで案内してくれるシステム付き)その後2回DVDナビを買い換えて10年前のHDDナビに・・その後は買い換えることは無いでしょうが・・
大切なこと忘れていましたが、LDプレーヤーはハード共にソフトが必要でソフトも同社から
発売されていました。そのなかで初回発売に含まれていたのではないか?と思われるソフトで
1953年東宝の”裸の大将”でその後のてなもんやの澤田氏のフジテレビ版裸の大将にも
影響を与えたと思われる最近には全く無い(制約の多い今は出来ないかもしれない)進めたい邦画
です。LD版は横長のスクリーンサイズを作品をシーンによってはパンで振ったり?してテレビサイズでも楽しめるように手が入っていますので違和感は少ないので良いです。(この地方で最後にドリフの松竹版の映画がU局で放送されたとき5人が写るときはアナモフィックレンズ使わないような顔が縦延びで何がなんだか分からない状況で放送されていましたが・・)ちなみに最後のシーンでクレージーのメンバーが新聞記者の役ででています。